概要と沿革 雷公神社 須江の獅子舞 獅子舞の道具
須江の獅子舞
須江の獅子舞

 雷公神社の須江地区氏子による獅子舞で、現在は須江獅子保存会によって保存継承されています。
獅子は「メン獅子(雌獅子)」と言われ、髪の毛は和紙を短冊状に切り、ヒノキの板で一枚一枚しごき「カール」をつけます。
 記録では、約200年余り前の江戸末期に獅子舞を奉納されていたとあり、同じ雷公神社の氏子である樫野地区でも同様の、その記録が残されています。
 また、ここの獅子舞も古座獅子であることは明白で、串本町の獅子舞の記録によると「安永八年(西暦1779年)串本の若い衆、升屋宇兵衛宅を宿に、古座から獅子舞の師匠を雇い稽古始める。」と言う書簡があり、多少の差はあれ関わりの深かった「古座」から習ったものと思われます。
舞の演目
地理的に古座との関係の深かったためか古座獅子の特徴を顕著に受け継いでおり、ほとんどの演目が残されており、舞も笛も大変長く正確に伝承されてきたものと、先人の努力と苦労を感じます。
呼び出しの笛を合図に、舞い手はカバチ(獅子頭)を被り、師匠が後から着物を締め付け、舞の準備に入ります。
・幣の舞(へのまい)
奉納最初の演目で、通常は「新派」と呼ばれる新人が舞い、幣と鈴を持ち舞わします。
・神宮の舞(しんぐうのまい)
同じく幣と鈴を持ち舞わしますが、地区によっては呼び名が違うようで、伊勢太神楽の「神来舞(しぐるまい)」にあたります。
・神明讃(しんめいさん)
二丁の扇で舞わすことと、1丁の扇と幣を持ち舞わすことがあります。
前者を「神明讃の2丁扇」後者を「神明讃」と呼びます。
また、新築の「屋固め」では必ず舞わされます。
笛、太鼓、舞手ともに熟練を要す舞で、聞く者、見る者を魅了する素晴らしい舞です。

・乱獅子(らんじし)

獅子舞奉納のそれぞれの舞のつなぎには必ず入るのが乱獅子で、先の神明讃の続きに最初の乱獅子が入り、これを「神明讃の乱獅子」と呼びます。また、乱獅子からは「二人立ち」となります。
・花掛かり(はながかり)
獅子が花に戯れる様を表現した舞で、何とか花を取ろうとするあげくに、最後は花に飛びつき、花びらを散らします。

須江の獅子舞では、「牡丹の花」を形取った物を使い、花びらが散るときには、花に仕掛けられた五色の紙吹雪が舞います。

この「花掛かり」も新築の屋固めでは必ず舞わされます。
花掛かりから、花を拾う様までを「花掛かりと呼び、笛は花を拾う段階で一度変わります。
・寝獅子(ねんしし)

花に戯れた獅子は疲れて眠くなり、その場に寝入ってしまいます。

眠気を誘うような笛と太鼓の妙技と、まさに百獣の王獅子の眠気を堪え、ついには眠り込んでしまう様は、伝統の技とも言えます。
寝入った獅子を起こすべく呼び出しの笛に誘われ、万雷の拍手の中、登場する二人の天狗。
獅子舞の一番人気の演目で、ササラを挽き鳴らし獅子を起こそうと回ります。
あまりの耳障りな音に、遂に起き出した獅子は怒りで天狗に襲いかかります。
たまらず上空に舞い上がる天狗に執拗に襲いかかる獅子 「驚いた天狗は、もんどり打って後方へひっくり返る」と言う曲技的なところが見せ場で、観客からは拍手喝采が送られます。
なおも襲いかかる獅子ですが、ついには天狗に諫められ、神様から剣を授かります。
古座住吉神社の天狗も、肩車をし同じような動きの舞をします。これは、古座から伝えられた「天狗」が、長い年月の経過にも関わらず、奇跡的に継承されている証でしょう。
 また、この舞は伊勢大神楽の「魁曲」(らんきょく)が原型と推測されます。
須江の獅子舞では、ここまでを「寝獅子」と呼びますが、笛の音はこの間、「寝獅子」「呼び出し」「一度天狗」「二度天狗」「乱獅子」と変わります。
また、一度天狗と二度天狗の間に「大婆小婆」と言う「囃子唄」が唄われます。
肩車をして上空に舞い上がる様を表現した舞を「てぐのまい」とも呼びます。

天狗は面をかぶらず顔に化粧をします。古座地区の天狗は女児が舞うことから、おそらく伝えられた頃は女児であったものが、祭神である雷公さまは「荒神様」であり、女性を嫌うことから、須江、樫野地区の天狗は当初から男児が舞ったようで、化粧は女児であった証のような気がします。

 また、この地区でも「大婆、小婆」と言われる囃子唄が「天狗の舞」の始めに唄われます。この唄については、木曽民謡「高い山から」が原曲のようで、大島では「鎌倉節」田辺市では「高い山」と呼ばれており、80%位の類似点があり、いつ頃から伝わったかは不明で、何故この地方で唄われているのかが不思議です。
・剣の舞(つるぎのまい)
神様から授かった剣で、四方を祓い清める様を表現した舞で、勇壮かつ凛とした舞で、かなり熟達した中堅クラスが舞わします。
舞は、天狗から受け取った剣をくわえ、その感触を確かめるように何度もくわえ直し、剣を抜き四方を祓い清めるまでを剣の舞と呼びます。
笛は、「剣の寝獅子」「剣」「乱獅子」と吹き変わります。
「寝獅子」と「剣の寝獅子」の笛の違いは、「勘」と呼ばれる部分が違い、技術的にもかなり難しい曲に入ります。
・扇の手(おうぎのて)
他の地区で言う「扇の舞」にあたり、トリの演目になります。
演目中、扇を足の指先に挟み、片足でアクロバティックに舞う曲芸的な演目で、最も体力と技術がいるとされています。
笛は初めから終わりまで乱獅子を吹き、交代で吹きながらも、これまた体力のいる曲目になります。
以上が、須江の獅子舞の前演目になりますが、笛の曲目としてこの他に、移動の時吹く「道中笛」や「浜笛」と呼ばれる、串本や出雲で吹かれている「道行き」にあたる曲があります。
・玉獅子(たましし)
四方を祓い清めた獅子に、再び現れた天狗が褒美の「玉」を獅子に与えます。
他の地区でも、途絶えていることが多い演目で、須江の獅子舞では今も確実に継承されています。
この時の獅子と天狗のやり取り、間合いは幾度も練習をし拾得される物で、須江の獅子舞では、先の子供の天狗ではなく大人か中高生が努めます。
褒美の玉に喜ぶ様を表現する舞は、演目終盤の山場です。
笛は、「玉獅子の天狗」を吹きますが、後半、徐々にテンポを上げていき、ついには乱獅子に変わる、これも技術のいる曲目です。
獅子舞の主な演目と笛の曲目 ◎印は舞い名称▲印は笛の曲名
◎「幣之舞」▲呼び出し▲幣之舞         ◎「神宮之舞」▲呼び出し▲神宮之舞
◎「神明賛」▲呼び出し▲神明賛▲乱獅子   ◎「花掛かり」▲乱獅子▲花拾い▲乱獅子
◎「寝獅子」▲寝獅子▲寝獅子の勘   
 (天狗)▲呼び出し▲大婆小婆▲一度天狗▲二度天狗▲乱獅子
◎「剣之舞」▲剣之寝獅子▲剣▲乱獅子    ◎「玉獅子」▲玉獅子之天狗▲乱獅子
◎「扇之手」▲乱獅子
その他笛の曲目
 ▲道中笛▲浜笛▲串本節

※須江獅子舞の演奏をYoutubeで視聴する事が出来ます。
「大舞い」と「小舞い」

 紀伊半島南部の数ある獅子舞の中で、特筆すべきがこの「大舞い」と「小舞い」の構成です。
「大舞い」は、他の地区の地下舞わしと同じで、「祝い事」や「新築」の家を廻ったり、「当屋」や「区長宅」などの家を廻り「屋台」と「獅子舞」「天狗」などで構成され「獅子舞の奉納」をします。
 「小舞い」は、その他の家々を一軒ずつ廻り「幣之舞」「剣之舞」を「締太鼓」「笛」「獅子舞」の構成で、短くした簡単な舞いを奉納します。現在は、省略して、各班の班長宅を廻り奉納するようです。
これは「伊勢大神楽」で言う「門付け」と呼ばれる構成に酷似し、伊勢大神楽の流れを色濃く残す、数少ないものと注目しています。
 現時点では、紀伊半島、他の地区でこの「小舞い」があると言う情報はありません。
「御花と花よみ(おんはなとはなよみ)」※口上

 元来、神社側が行う神事とは別に、氏子衆が奉納してきたのが獅子舞で、その舞手や囃子衆を「役者」と今でも呼んでいます。その人方に贈るのが「御花」と言われる「ご祝儀」のようなもので、通常はお酒かお金で、頂いた獅子若衆は御礼の口上を述べ、紹介します。これが「花よみ」と呼ばれるもので、上手な口上は観衆を湧かせ、祭を盛り上げる大事な役目です。

※須江地区の花読み口上・・
「東西、東西、御花金子で一封、当家ご主人○○様より、天狗ご両人くだしおかれま〜す。高うはございますが、低くうなって花の御礼」
後継者
 須江地区も後継者不足に悩み、天狗以外にも子供達の参加を募り、平成11年からは「女性の笛吹」も現れ、太鼓なども子供達に習ってもらい後継者の確保に務めており、時代の流れを感じさせられます。また、平成25年の祭りでは、初の女児による子天狗の奉納となりました。
 元々、古座地区の獅子舞においては女児がササラ天狗を、男児が玉天狗を演じるが、雷公神社は古くから女人禁制であり、ササラ天狗(子天狗)を男児が演じ、化粧をするのはその名残と思われる事から、女児が演じた事は時代の流れでもあり、本来の姿で演じる事が出来たとも言える。
 雷公神社の女人禁制は近年になって解かれ、女性もお参りすることができるようになりましたが、信仰心の強いところは昔と変わらず、氏子は神社にあがる際は神社下の美鈴川の水で手足口をゆすぎ、履き物をぬいで参ります。
祭りと伝統芸能について
地域に残る伝統芸能は、神社が行う「神事」ではなく、氏子が氏神様である神社へ奉納する芸能の一種と捉えられています。
お祭りや地域に残っている伝統的芸能を続けていく事は、伝統を継承していくと言う事だけではありません。
祭りや伝統芸能を行うには、当事者だけでは出来ず、練習や準備など地域の人々の協力が不可欠です。
そう言う意味で完成したときの充実感や達成感も格別で、自信にもつながり、異なった年代の人達とのコミュニケーションを深める事は、若者にとっても成長の切っ掛けにもなり、地域の絆も深まります。
祭りはまた、年長者から礼儀を教わる機会にもなり、学校で学ぶ事とは一味違う、人が人として成長するためには欠かせない経験であると思います。
祭りや伝統は長い年月を経て熟成され、地区の文化として伝えられてきた、地域の誇りであり、それを守り続ける事は地域の存在の証明だと考えます。
他所で生まれ育った私でさえ、須江の伝統的獅子舞は素晴らしい物だと感じ、その魅力にとりつかれ、この伝統を守る事のお手伝いを出来ればと考えた事が、須江に住み着こうと思った一つの理由でもあります。
免責事項
本ホームページの目的は、「須江の獅子舞」及び「紀伊半島南部の獅子舞」を紹介することにあり、史実として、これが正しいと言った記事ではありません。文中において、誤った記載、歴史的史実の誤認、不適切な表現等がございましたら、ご指摘下さい。場合によっては内容、表現等を訂正いたします。
※祭、獅子舞などの由緒、由来、言い伝えなどは、地元の主張を全面的に参考にしての記載となっています。
参考文献
「紀伊続風土記」「大島小学校百年史」「紀伊大島年代記」「須江小学校百年史」「樫野小学校百年史」 「串本百年史、年代表、古代〜中世」「串本百年史、史料編」「水門浦神事、潮崎荘」「西熊野の神々」他
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